今日は暇な一日を過ごした。

就職してから今まで、息をつくことなく走ってきた。
もちろん、山あり谷ありだったけれども。

とりあえず、今日は一息つくことができたので良かった。

4月からほとんど更新してないし、ちょっと振り返ってみたいと思う。

4月 とりあえず就職して3週間の研修。毎日のように同期と飲む。
5月 とりあえず配属。自分がITのことを何も知らなかったと痛感する
6月 営業的なこともしながら、技術的なこともしながら、勉強の毎日。
7月 運用業務の一部を任される。プログラマとして育成されることが決まる。
8月 ←いまここ

今できるようになったことは、少しのPHP言語と少しのコマンドを叩くこと。
windowsすら自分がまともに動かせていないことに、悔しさを感じながら、毎日が過ぎていく。

あくまでもITに使われることなく、ITを使う側でいたいものだ。

ツイッターの続き。

4月下旬だというのに、寒い日ばかり続いていた東京だが、昨日からようやく暖かくなってきた。

今年の4月25日はあの日のように澄み切った空だった。

僕は昨日、空を見ながら複雑な気持ちを胸に抱いていた。
複雑と言っても、あの日よりはずっと整理された気持ちだが。

僕の高校生活は大抵の10代と同じようにハードだった。
小さなことで、胸が打ちのめされ、次の日には再構築を始める。
そのサイクルがとても早い10代。

でも、そのサイクルが追いつかないくらいに胸を完全に破壊してしまう出来事もある。
そこで、大抵の17歳はこう考える。

『誰もが、何かで傷ついている。自分だけが特別じゃない。』ってね。
もしくは『なんで、自分だけこういう思いをするんだろう』ってね。

そして、大きな傷だったとしても、また心の再構築を始める。
大きな穴の上に建物を建ててるのだから、またその心は崩れてしまう。
その崩れた心の上にまた再構築をする。また崩れる。

このペースがあまりに早いから、心はいつの日かすぐに憔悴してしまう。

時間が立って気付く、10代のころとは違う心の許し方を覚えた時に。例えば、異性だったり、国籍が違う人だったり、全然違うバックグラウンドを持った人を心から受け入れられた時に。

その時、初めて自分の心の弱さを知る。
すると、10代の複雑な心境が少しは整理されてくる。

こうやって回りくどく書いたけれども、まだそういう回りぐどさでしか表現できない。
それが、この事故であり、この5年なのです。

事故について、僕は今のところJRを憎んだりはしていない。
(もちろん非がないとは言わないが)
それより恨んでいるのは、僕の心の『潰れる→再構築』を加速させた何かだ。

それはきっとメディアを含んでいる。

本当のポジティブとは何か?

みなさんはポジティブという言葉を辞書で引いたことがあるだろうか?

辞書を引く以前から、たくさんの意味があることは想像に難くないだろう。

しかし、『ポジティブに生きる』という意味で使われる『ポジティブ』は”楽観的”というだけの意味で使われていることが多い気がする。

例えば、上司から叱りを受けて、凹んだとする。
このときのポジティブシンキングは凹んだ事実を忘れることではなく、
凹んだ事実を肯定的に解釈し、前向きに進むことである。

漠然と上手くいくだろうと考えることは楽観的という言葉ではあるが、前向きという言葉ではない。

こうした微妙なニュアンスだが、日本語ではきっちりそれぞれを分けて解釈してるため、ポジティブを都合よく解釈していることが多いのではないだろうか?

感情的になるとはネガティブなことか?

僕は感情的になっている人間が好きだ。
その人が怒りや喜びを表してるその人の心に嘘のない表情が好きだ。

だから、ポーカーフェイスで佇んでいる大人よりも、怒りを爆発させている子どものような人の方が好きだ。

もし、怒るなら怒ってほしい、感情を見せて欲しい。
何に怒っているのかを論理的にではなく感情的に教えて欲しい。

僕は人が感情的になっているとき、その人が感情的になる理由を考える。
そして、納得がいく。

もし、感情を見せない人に論理的に怒られても、何も感じない。
それならば、怒鳴ってほしい。

怒鳴る労力がいやという人はもっと嫌いだ。
人のために労力を使うのが嫌だと言ってるみたいだからだ。

人に対して真剣にぶつかっていく。そういう人間でありたい。

保護者が望む子ども像は指導力よりも協調性。

ブログをアメブロからbloggerに引っ越して一発目のブログになる。

ツイッターのまとめ表示をさせる場所が欲しくて、アメブロはそちらに異動させました。

保護者望む子ども像、指導力より協調性

これは数日前の日経の記事であるが、これを見て、将来、幼稚園を開かねば、という思いが強くなった。

もともと、幼児教育に興味を持ったのは 風の谷幼稚園がウェッジで特集されていたからだ。
これを見て、自分の恩返しという人生の目標の一つに幼稚園というプランが定まった。

私は特段に幼児教育について勉強したわけでも、詳しいわけでもない。

しかしながら、現在の社会の状況を見ていると、幼稚教育から改善することが必要だと強く感じられたのだ。

まず、幼児教育をすることで、保護者教育をすることができる。
大学生のアルバイトで保護者と接することが多くあったが、中学生や高校生の保護者の考え方を変えるには、相当な労力が要る。

しかし、小学生の保護者であれば、子どもがまだ未発達な分、親の子どもに対する考え方も変えることが比較的簡単である。

これは、『うちの子は○○な子!』という決めつけが少ないからである。

これは幼稚園になれば、もっと大きくなるはずだ。

はじめて、わが子が社会を経験するときに親がどのような行動に出るかで、大きくその子の人格形成に関わるの確実である。

そして、まだ幼稚園児の親は比較的若いはずだ。

幼児教育を行い、保護者教育を行うことで、きっと保護者を成功に導くこともできる。

私塾とともに、これは自分の使命になりうると考えている。

詳細なデータや戦略はまだ詰められていないが、いつか事を為したい事業の一つだ。